義父が入院していた病院の先生から、ご家族お集まりくださいとの呼び出しがかかり、、
まだかろうじて意識があるうちに最後に義父とのお別れができました。
最後は田主丸の畑の周りに咲いていた満開の桜の写真を見せたら目を細め喜び、、
これから作っていく予定の畑のレイアウトマップを見せ
みんなが喜んでくれる畑にしますね。と説明すると、
わぁ〜いいね〜と目を細め喜んでくれました。
それが最後でした。
急遽キャンセルしてしまった仕事の関係者の皆様には大変申し訳なかったのですが、最後にちゃんとお別れをすることが出来ました。
ブログに書くにははふさわしくない内容かも、、とも思ったのですが、実は義父はこのブログをほんとにいつも楽しみに見ていてくれて、、
誤字脱字を発見しては、、「美紀さん、漢字が間違ってるよ、、Foodingの曜日が間違ってるよ、、」などと
第一発見者(笑)になり、、よく電話してくれていて、、(汗)^^;
そのうち、あまりに誤字脱字の多さに諦めたのか^_^; そんなにはかかってこなくなりましたが、、^^;(笑)
テニスが大好きで81歳まで毎日テニス。明朗活発で穏やか、、いつも笑顔でした(*^^*)
1年前に末期ガンとわかり入退院を繰り返していましたが、それでも3月初旬まではオットと外食しペロリと平らげるほど元気で、、
苦しそうだったのは最後の少しの間だけ、、
先に他界した義母の看病は献身的で、入院中14年間毎日1日も欠かさず病院へ行き、朝から夜まで義母のそばに付き添い、、一時も離れたくない献身ぶり、、
最後の終活も完璧で、分厚いクリアファイルにキッチリとまとめられた書類に、、斎場、祭壇、司会に受付などなど
ほんとに細かいところまで決めていて、、お通夜、葬儀は土日に、、と指定していたらまさしく桜満開の美しい日にその通りに。
人生の先輩として見習うべきところ多く、、お見事な最期でした、、
ふと皆で見上げたこの綺麗な桜がまるで義父のようだな、、と。
いつもまわりに細やかな心配りをする義父でしたが、遠方から駆けつける兄妹や親族のための宿の手配まで
気にかけ、、最後の精進上げの親族の食事会の料理は春満載で、、
最後の土鍋ごはんの蓋が開けられた瞬間のみんなの喜びの笑顔をしっかりと見て、よしよし、、と満足したに違いありません。
桜の鯛と筍の炊き込みごはん、ほんとに香りも素晴らしく美味しかったです。
別れは悲しいですが、オットも義母が倒れた15年前からほんとに毎週のように時間の許す限りお見舞いに通っていましたし
義父に対してもそうで、、悔いはないぐらいの親孝行したと思います。
完璧な終活をしていた義父の最後は爽やかな旅立ちでした。
私もそんな爽やかな散り方目指したいな、、
そろそろ桜も散り始めましたね。。
今頃義父は天国で大好きだった義母に再開できて喜んでいるに違いありません。